霧のなかのことと、事実としてあることが、うまく切り分けできていないことがあって、心配や不安が膨らむと、それは妄想であるとはわかっていても、それに飲み込まれていることがある。そして、案外に、目の前にある事実に気づいていなくて、あとになってから、ああ、と、わかることがあったりする。自分が思っているよりも、日々ぼんやりしていて、目が半分しか開いていないのかもしれない。それならそれでもいい。ただ、とっさに打ち返せるフォーマットを用意しておいたり、後からでもいいから、事実を見る意識は持っておきたいと思う。

基本的にマイペースなので、まれにすべてが自分の思うままに動かせる時間が生まれると、はじめは嬉々としているのだが、ある一定のラインを越えると、飽きる。ただ、そこまでいって、初めて、リセットされている気がする。負債なのか、過剰な何かが。そういう意味で、今週はよい休みを得た。いや、休みといっても、手は休んでなくて、別のものが休んでる感じ。それが許されることに、感謝したいと思う。

ひさしぶりに、打ち上げ花火を見た。今どきは、なんというか、洋風な花火なんだな、という感想。音楽に合わせて打ち上げる、みたいな。それを見ながら、相手が誰であれ、喜ばせようとしてくれている人に対面したときに、素直に喜ぶほうがいいんだな、とふと思うようになった。そこで別に斜に構える必要などないのだから。手を振ってくれるならば、こちらも手を振り返せばいいわけで。ただ、まあ、なんというか、それが人違いだったりすることもあって、ちょっと眼鏡を調整したほうがいいのかもな、と思ったりもした。

来週からはまた大学の授業に行く日々がはじまる。得るものはとても多い。そして、やりたいことも多い。が、やりたいと思うことを進められる時間が本当に少ない。だが、もう焦らなくなってきた。淡々と一つずつやるしかないし、そこは、自律的に選ぶしかないのだから。もう、現時点の手札でやる。それを積み重ねて行くしかないような気がする、すべてのことに。そして、持ち札は、たぶん気がついたら入れ替わっている。だから、頑張って取っ換え引っ換えしなくても、とりあえず、目の前のゲームをやっていくだけなのだろう。

そんなことを思ったりする、今日このごろ。